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最近読んだ本 '18.6 [自然・都市・生活]

外来種のウソ・ホントを科学する Where Do Camels Belong?

The Story and Science of invasive Species  

Ken Tompson 屋代道子:訳築地書館

ラクダと言えばピラミッドやスフインクスをバックに観光客を乗せているか、ロレンスがまたがって砂漠を走るのを思い浮かべる、しかしラクダは北アメリカで進化発生し、南アメリカで最大限に分化した、アルパカ、リャマなどは皆仲間だ。氷河期にベーリング海峡が閉じたときにユーラシアへ渡ったことになっている。

著者はこの話を始め、大陸移動、種の進化などから在来種と移入(侵入)種という区別は、時間軸に沿って考えると成り立たないことを証明している。

自然環境保護と称して多額の税金を使い長い時間をかけ結局何も目立った効果が上がらなかった例が多い。一度消滅して再度自然に、または人口的に定着した複雑な過程を経たもの、侵入種の丈が高い場合、在来種が丈の高い方向に変化し進化圧により別の種になっていくものもある、結局自然は人間がいじくり回し改変した環境に対応して移動するか、または人間や物流と共に移動した場所で生きてゆくのだ、生物種は混じり合い相関して進化し、少し長い時間で見れば(生物の歴史で見ればほんの一舜だが)平衡状態に近くなる。

これだけであれば生態学的に見た環境保護の批判的内容なのだが、作者はさらに「わたしたちの進化の歴史と関係し、人間が危険をどう察知するかという問題にかかわる、もっと根深い心理的な理由もあるように思える、わたしたちは抽象的で非人間的な脅威―中略―マラリアや気候変動や肥満には十分な関心を払わない。逆に、目に見える相手には敏感だから、テロリストや暴力犯、小児性愛者には過剰なほどの不安を感じるのだ。」「民族的出自にかかわらず、誰もが環境保護、文化遺産保護活動に完全参加できるようにすることを目標に掲げる団体、UKブラック・エンヴィロンメント・ネットワークが、外来生物排斥が外来人間排斥へと転化する境界線の微妙さを懸念して、両者にもっと寛容にと盛んにキャンペーンを張っていることは、注目していいだろう。」と述べている。

人類の発生期には複数の種があったこと、現在のアメリカ大統領の言動などを照らし合わせ考えるべき点が多い。

 


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入梅直前の雑木林 [自然・都市・生活]

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入梅直前の花と昆虫、さいたま緑の森博物館、入間市の狭山丘陵を歩くとちょっと変わった生物が見られる、暗い林床に咲くサイハイラン(左)やムヨウラン(右、腐生植物)オオミズアオ(ヤママユガ科)などである、雑木林は暗く湿った場所になる。 


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春の雑木林 [自然・都市・生活]

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春の花が消えると雑木林の縁に春の花が咲く 左 キンラン 右 ギンラン 下 オドリコソウ(白花) 片側が田圃で明るく開けた道脇に咲いているが最近は数が減った、あまり気付かれず残っていてほしいものだ、狭山丘陵南面にて


春から初夏へ [自然・都市・生活]

里山は春から初夏に変わってきました、トラフシジミがかえでの葉に止まり、ミズキの花にはキマダラカミキリや小さなニンフハナカミキリが集まってきます、エゴの花が咲き終わって地面に雪が降ったように散り敷くと梅雨が始まります。


自然の中で考えることの重要性 [自然・都市・生活]

これは1854年から1862年まで未開の地を探検し、生物のアジア区とオーストラリア区の境界ウオーレス線を発見したA.R. ウォーレスがアルー群島で最初に王様極楽鳥を見た時の感動を記した旅行記「マレー諸島」の文だ、彼が想った事は150年後人類の前に自然破壊の恐ろしい現実となる。ウォーレスはダーウインより前に進化の仕組みを述べ、人間が形質の変更から脳の中の進化へ転向した始めての生物であり、又20世紀にやっと認められるようになった大陸移動にも気付いている。そしてこの本の最後に、技術革新の上に進んでいく西欧の工業化社会は決して人類を幸福にしないだろうと言っている。  自然はこんなたくさんの事を教えてくれるのだ。
 それはまだヨーロッバではまったく不完全にしか知られていないということを私は知っていた。博物学者の胸は感動で時めく。その彼は今まで、記載や絵画、あるいは保存の悪い外皮だけによって知られていた現物を、自分の目で見たいと長い間切望していたのだ。特にその生物が卓越して稀れな美しいものであれぱ、それを表現するためには十分な詩的能力が要求される。私が自分で見つけた遠隔の島は、ほとんど誰も訪ねたことのない、商船や艦隊の往来から遥かに離れた海洋に位置している。野生の、豊かな熱帯の森林、それが四方に遥かに伸びている。.私を取り囲んでいる未開で文明化されていない人々、そういったものの全ては、私がこの「美しいもの」を眺めていっそう感動させられる原因であった。私は過去の長い時代を考えた。その間、この小さな生き物は連綿として幾世代も生き続けて来たのだ。この暗く陰気な森の中で、年々生まれ、生きそして死んで行く、彼らの美しさを眺める知的な目もここにはなく、どう見ても、まったく美の気紛れな浪費である。そのような考えは憂鬱な感情を刺激する。悲しいことには、一方では、そのような非常に美しい生物が生命を燃やし、その魅力をこの野生の荒涼たる地域でだけ誇示し、望みのない未開の状態で幾世代も過ごす運命を持っていたのだ。他方では、文明化した人間がこのような遠隔の土地に到達し、そして道徳的、知的、物質的な見方をこれらの処女林の奥地に引き入れるならぱ、有機的、無機的自然の見事に均衡のとれた関係をひどく撹乱し、彼のみが自然の素晴らしい構造と美を認識し楽しむことができるその美しい存在そのものの、消減、そして遂には絶減の原因になるだろうことは確実である。この考えは、全ての生き物が人間のために作られたものではないということを、われわれに確かに物語っているのに違いない。それらの生き物の多くは、人間とは何の関係もない。それら生物の存在は人間とは独立に循環し、人間の知力の発達によるあらゆる進歩によって撹乱され破壊される。そして、それら生物の幸福と楽しみ、愛と僧しみ、生存競争、活力ある生活と早い死は、それら生物自体の安寧と永続とだけに直接関わっているように恩われるし、それぞれの種が多かれ少なかれ密接に結びついている無数の他の生物の、同じような安寧と永続によってのみ制約されているのだ。


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