So-net無料ブログ作成

義父の戦争 [人類の歴史]

義父の戦争 第1話 前線へ


この話は1996年に亡くなった、妻の父の遺品の中にあった、義父(以後:Tと記す)の短い文章を含む 飛行第45戦隊戦友会 発行の「雲翔南に北に」と言う文集及び、その他のコピーと地図、生前にTより聞いた話を資料として、その他の関係する出版物も参照してまとめた。


飛行第45戦隊(以後:飛45と言う)はノモンハン事件よりハイラル、天津、南京、広東と転戦し、昭和17年末に戦況不利なラバウルに向う事と成った。


T151月に安慶から単身呼び戻され福生の飛行学校に入り、卒業後鉾田の飛行学校勤務となった、おそらく体格が小柄だったので直接前線に行かなかったのだろう。


自分の家は入間市に在り、すぐ横が自衛隊の飛行場(旧米軍ジョンソン基地)である、ここは所沢航空学校から別れて陸軍航空士官学校と成ったところで、Tもなじみが有り、秋の航空祭に来て、昔を思い出すように滑走路を眺めていたのが印象的だった。八高線で飯能のカフエに遊びに行き、他の兵隊たちと階級の事で口論になり、お互いに軍刀を抜いた、というのがこの頃の話である。さて17年8月に戦線の最南端、ソロモン諸島のガダルカナル島に連合軍が攻撃をかけ、18年2月の同島撤退に向かって戦局が悪化し、1712月に飛45は当時の使用機九九式双発軽爆撃機を空母龍鳳沖鷹に積んでラバウルに向うのだが、Tはこのとき未だ飛45に編入されていなかった。第2話ではTが飛45に編入された経緯から書くことにしよう。


chakunin.jpg


コメント(0) 

コメント 0

コメントの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。